実況速報・安田純平氏、初の記者会見 ほぼ全文 シリア拘束の日常を2時間独演 




実況速報・安田純平氏、初の記者会見 ほぼ全文 シリア拘束の日常を2時間独演

ジャーナリストの安田純平氏は11月2日の11時、日本記者クラブで記者会見を開いた。

安田氏はシリア情勢を取材中に武装勢力に拘束され、3年4ヶ月ぶりに開放された。

シリアで拘束中に公開された映像、拘束生活や突然の身柄の解放などについて自己責任論も含めて議論が紛糾している。

会見で安田氏はシリア入りから監禁生活での様子を事細かく、正確な日付をもとに詳細に説明した。

監禁生活の序盤では「お前はゲストだ」と言われてテレビがあり、シリアのスイーツを食べることもできたという。

一方、監禁生活の終盤では身動きもできない状態にさらされ、20日間の断食をするまでに至る。

安田氏は日本政府については感謝の意を示し、「起きたことについては自業自得」と述べた。

記者会見の様子をリアルタイムで更新した。

目次

要旨
冒頭説明
質疑応答
会見要旨 安田純平氏、初の記者会見

・私の行動で日本政府に迷惑をかけた、検証されるのは当然だと思っている

・紛争地に行く以上は当然に自己責任で自業自得

・表に見えているのとは違った世界・価値観で動く人々を伝えようとしたのが取材の目的

・戦争をする当事者の国家だけでなく、第三者から提供される情報が民主主義社会に必要

・トルコ入りする道中で拘束され監禁生活が始まった

・監禁した組織の名前は不明、日本政府に身代金の要求を始めた

・監禁した組織からは「お前はゲストだ」と言われ、外に出れなかったものの部屋でテレビを見ることはできた

・食事の量は特に少ないということもなく、頻繁に鶏肉、日によってはシリアのスイーツもあった

・ここまで日付をハッキリ覚えているのは、監禁時に衣類と本とノートは渡され「日記を書いて良い」と言われていたから。

・日本政府から連絡が途絶えるとトイレに行く途中に蹴られるなど対応が悪くなった

・彼らが大喜びしている時があり、身代金の交渉がまとまったかと思ったが解放はまだだった

・独房に入れられた時は「なんでテレビがないんだ」と言ったが要求は通らなかった

・そのうちに何か怪しい動きをすると盗み聞きしていると疑われて、周りの人間の拷問が始まった

・食事を持ってくるけれど缶詰の中身が入っていないとか、鶏肉は骨だらけという嫌がらせも始まった

・少しでの身動きも許されない状態が始まり、不可能なので食事を食わない、ハンストを始めた

・二十日間絶食状態で骨と皮だけのような状態になった

・イスラム教になれば礼拝する時に動けるため改宗、そのためイスラムでウマルという名になった

・長期間の身動きが許されない状態はイスラムに反する監禁、ハラームだと訴えた

・今後も紛争地に赴くかは全くの白紙




冒頭説明 安田純平氏、初の記者会見

解放に向けてご尽力いただいた皆さんにお詫びと感謝を申し上げる。

私自身の行動で日本政府が当事者になって申し訳ない。

何かあったのか明らかにするのが私の責任。

現地で取材中にイスラム国に関する資料を入手、フランスやスウェーデン人の人質の情報。

給料制度などイスラム国が国家のような組織を構成している一端が見えた。

それ以外の反政府側の組織、イスラム国に対抗する形で一つにまとまり始めて凶悪な組織と言われた。

絶対的な権力のない地域で、武装勢力と地域社会はどう安定しているのか。

裁判が行われていたり、警察組織など一般治安を始めていた。

表に見えているのとは違った世界・価値観で動く人々、そういった世界を伝えようとしたのが取材の目的。

現地の組織にいくつか当たる中で、日本人の知人から紹介されたシリア難民の小学校を運営している人、シリア入りするきっかけのガイドと出会った。

後藤健二さんと同じガイドだった。

ガイドは現地で司令官の兄が受け入れると、身元保証すると話を受けていた。

トルコからシリアに入るのは国境地帯、深夜に山道に入っていく方法。

道案内が先にシリアに行って様子を見ていたら、別の方向からシリア人が入ってきた。

そのシリア人が私に「シリアに行こうか」と話をしてきて、話が違うなと思った。

そう話がついているかのようだったので、そういうものかと思って一緒に入ってしまった。

自分でも何でそうしたかわからないが、段々とどうもおかしいなとなってきた。

(パン工場の事務所に連れて行かれるなど、トルコからシリア入りする道中で監禁されていく描写を細かく説明)

当初、スパイ容疑の尋問が始まった。

直ぐにスパイ容疑はなくなったようだが監禁は解かれない。

民家の1部屋に連れて行かれ見張りが5人、一人はイエメン人、残りはシリア人と話すうちにわかった。

当初は彼らもどうするか扱いを決めていなかったようで、あくまでゲスト扱いと言われた。

そして彼らから日本政府に身代金を要求すると言われた。

家族の名前、家族に対するメッセージなどを書かされた渡した。

アメリカにある日本の領事館にメールを送ったと言っていた。

日本から金を払う用意があると言ってきた。

彼らは武器などのリストを送った、日本政府は武器は無理だが金を払う用意はあると再度、聞いてきた。

そのあとはお互いにのらりくらり。

彼らは組織名は言わなかった、ハタファかと聞いたが「あんなのイスラム系じゃないか」と嫌そうに否定。

最後まで組織名は言われていない。

本当に、日本側が対応しているのであれば時間を稼いでいてもおかしくないなと思っていた。




その民家にいた間、彼らから「ゲストである」と言われてテレビを見ることもできた。

夏はサウナのような状態だったが観音開きの窓の片側を開けてもらった。

トイレはなかったが、1日2回彼らが食事を運んで来る時に監視されながらトイレに入った。

食事の量的にも特に少ないということもなく、頻繁に鶏肉、日によってはシリアのスイーツ、トルコの料理でピザのような薄いもの、トルコの新聞に包んで持ってきたこともある。

通訳の携帯電話がメッセージを受信していたのでトルコ国境に近いとこだろうと思った。

周囲に民家はたくさんあり、年配の女性の声、子供達が遊んでいる声も聞こえた。

身代金が取れると思って彼らの機嫌が良くなってきたが、日本側から連絡が絶ったということで機嫌が悪くなってきた。

12月31日、妻の連絡先を教えろと言われた、日本政府に圧力をかけると。

妻しかわからないメッセージのやり取りをして生存証明をしたが、その後に日本政府から連絡がなくなった。

その後、監禁した組織の人間は私が何かメッセージを送ったんじゃないかと思ったようで、トイレに行く途中に頭を蹴ったり尻を蹴ったりするようになり紳士的な扱いはなくなった。

公開する動画を作成すると言われ、彼らの言われた通りにやった。

動画撮影が終わったあとに対応が良くなり、一カ月ほど1日2回の食事以外におやつを持ってきてくれるようになった。

「我々は殺すことは絶対にない、日本から連絡がなければ放り出す」と言われていた。

その後、トルコの憲兵隊を名乗る人間がやってきて、隣の人間を拷問しているようだった。

7月に入った頃、彼らが大喜びしている時があり、身代金の交渉がまとまったのかなと思った。

トルコに移動させられ解放されるかと思ったが、一緒にいた外国人がトルコに解放されただけだったと思う。

日付がハッキリしているのは、衣類と本とノートは渡され「日記を書いて良い」と言われていたから。

7月10日に独房に入れられ扇風機はあったがテレビはなかった。

「なんでテレビはないんだ」と言ったが、テレビの線を引っ張るのは大変などと後でわかった。

通訳は「テレビ以外なら何でも出す」と言われて、英語の本やスイーツなどをもらった。

通訳がジャバルザウィーアーにいるなどと言っていたが、それを確認しようとすると英語が話せる人間は近づかないようになった。

10月後半に返すぞ、というやり取りが聞こえた。

会話を聞いているところ、彼らは人身売買をしている組織ではないかと思った。

なんども場所を移されたが、その中では外国人の義勇兵がたくさん捕まっているようだった。

ヌスラ、アラブ諸国の囚人がいたが、どうして彼らがいるのかはわからなかった。

彼らは食事を持ってくる看守とも冗談を言い合ったりしていた。

一方、棒のようなもので誰かを殴っている音も聞こえた。

私が周りの囚人と喋っているのが彼らにバレてしまい、周りと話せない環境に移された。

ヌスラやハシシ、シリア軍の兵士に尋問している声が聞こえた。




施設のリーダーの人物は英語ができて「東京から来たのか」と言われた。

「アーユージャパニーズ」と20回ぐらい聞いてきて、それで言ってしまうと「言ってはいけない話」ということで拷問されるゲームのようなものが始まった。

ムスリム、スンニ、じゃない人は拷問させられた。

改宗は強制的じゃないか、と彼らに言うと言い合いになった。

何か怪しい動きをすると疑われて、周りの人間の拷問が始まった。

食事を持ってくるけれど缶詰の中身が入っていないとか、鶏肉は骨だらけという嫌がらせも始まった。

身動きすると盗み聞きしてるんじゃないかと言われ、電気をカチカチさせられたり扇風機を止められたりした。

彼らが仕掛けていくゲームのようなもの、何か音がしたら1分以内に動くなというもの、要求に応えようとしたが不可能だなと。

枕の向きを変えるだけ、鼻息も彼らは聞いていて、鼻息を止めようとするも鼻炎だから止まらない。

水飲んだりつば飲んだりするとパキパキという音がなり、その音もふざけているというのでダメになった。

隙間を見てコップにつばを吐いて元に戻っていたが、つばを吐くのもダメだということになった。

本当に身動きできない状態になったのは10月11月ぐらい、その間は水浴びなしという状態。

どう考えても不可能だとわかったので食事を食わない、ハンストを始めた。

食事を受け取らない、その代わり改宗すると。

イスラム教になれば礼拝する時に1日5回、動ける。

寝てる間も動けない、それは不可能。

二十日間絶食状態で骨と皮だけのような状態になった。

脱水症状のようになって、肌がカサカサになり、立ってるだけでも胃が圧迫されて吐き気がする。

体力的に厳しい状況になった、彼らはそれ(動いたらダメ)を続ける。

そして、「もう返すから食え」と言われた。




その後に平屋の刑務所に移された。

柱3本があるローマ遺跡が見えた。

トルコのガイドブックを見て、会話で聞いたことのあるジャバルなんとか、というのが南にあるローマ遺跡じゃないかと。

周囲にウイグル人がいて、南にローマ遺跡のある場所、詳しい人ならわかるのではないか。

そこに半年いたのだが、動画撮影が始まった。

「私はウマルです」という動画だが、改宗した時にイスラムでウマルという名になった。

今までの動画は彼らがわかるように英語で言っていたが、今回は日本語でとなった。

彼らがわかるように言ってはダメなんだとわかり、安田純平ではなくウマルと名乗った。

その頃は腰を痛めていて、礼拝する時にも呻き声が出た。

それも駄目だと言われて、それも帰されない理由だったのかもしれない。

動画に関しては彼らのゲームではないかと思っていた。

その後イタリア人も入ってきて、ひよこ豆の缶詰がイタリア製で、その会話でイタリア人とわかった。

この施設では韓国人、その前は中国人と言っていた。

ここでは韓国人のウマルと言っていた。

彼らに「お前、賢いからわかるよな」と言われて「韓国人のウマル」を名乗った。

泣いているバージョン、泣いていないバージョンをとると言われた。

泣くことはできないので唐辛子を要求して、泣いている言い方で喋るのが動画の撮影の様子。

身動きしてはいけない部屋に再び移されて、身動きしてはいけないゲームが始まった。

動いてはいけないゲームをクリアしきれず帰されなかった。

これは無理だと泣きついて、イスラムの言葉「神は許しを与えてくれる」などいくつも述べて、許してくれと。

これはイスラムに反する監禁、ハラームだと伝えた。

これ以上やるぐらいなら殺してくれと、40日以上やるなら、返すかもしくは殺してくれと。

トイレに行かせない、水を飲めないのはハラームだと、お前たちはジハードのためにやっているんじゃないかと。

どう考えてもこれはジハードではないだろうと、これ以上ハラームを続けるわけがないと強く訴えた。

21日後、扇風機を盛大に回してきて、寝返りを打ってしまって、音を出してしまった。

彼らは扇風機の出力を自在に変更できて、文句のある時は最小出力、問題ない時は出力をあげてくる。

10月22日、「今から日本だぜ」と言われた。

ここで「東京だ」と言ってしまったが駄目なルールだったようだ。

また別の場所に移されて、別の車に乗せられて英語で「お前はもう大丈夫だ」と言われた。

彼らはトルコ人を名乗りタバコを吸っており、本当に違う人たちかなと思った。

トルコがオペレーションに成功して身元を引き受けたと説明していた。

トルコの情報機関が身柄を確保したのではなく、彼らから通報を受けて身柄を引き取ったのではないかと解釈している。

ここまでが拘束の大まかな流れ。




質疑応答 安田純平氏、初の記者会見

ーー自己責任論などの批判についてどう思うか
「私の行動で日本政府、多くの皆様にご迷惑をおかけした。私への批判は当然と考えている。このことについて私の側から疑問はない」
「事実に基づかないものもあるように思う。事実に基づいたものでやっていただきたい」
「自己責任について当事者である私は言いづらいが、紛争地に行く以上は当然に自己責任。日本政府が何かしらの救出をするのは厳しい環境にある、だから退避勧告を出している」
「相応の準備をし、何かあったら私が引き受ける。起きたことについては自業自得だと思っている」
「そのことと行政がどうするかは全く別。本人がどんな準備をしたのかと行政がどうするかは全く別。本人がどんな人かで行政の対応が変わるのは民主主義国家として重大」
「今回の外務省の対応、国として行政として出来ることをやって頂いたと思っている。可能な限りの努力を3年4カ月やって頂いた。解放のきっかけなどわからないけれど、邦人保護は絶対する、身代金は払わない、この2大原則の中でやって頂いた」
「独房で私が2部屋使っている、壁が高くなって本人が神経質になっていたなど事実に基づかない情報もある」
「拘束者と繋がっているようなフリをする、色んな人がいる。私を拘束する組織をつかむのは外務省も本当に難しかったと思う。家族のケアもやっていただいたし、外務省の方にはそのことを最初に伝えた」

ーー今後も紛争地に赴くか、その理由は
「今、現在は全くの白紙。わからない」

ーー後藤さんと仕事したガイドのツテということだが入って直ぐに拘束されている。当初から騙されていたのでは
「道案内が自分一人で様子を見に言っている間に、私が別の方向に入ってしまった。凡ミス。今考えても何で他の人に付いて行ってしまったかわからない」

ーー案内人を信用したとのことだが、その信用の根拠は
「信頼するかしないかの二択しかない。入ったので信頼したということ。他の方から紹介された、後藤さんのガイドを以前やっていて教育プログラムなどの活動もしていた。そういう人なら大丈夫かなと判断した」

ーー身動きがとれない状態で絶望するような瞬間は
「身動きができず不可能だと思った時は腹が立ってドアを蹴り続けた、何回もやった。無視されたが」

ーー相手側の組織の人数など、何か繋がるような情報は
「民家の時は5人、時々に連絡をとる人がきた。大きな建物については、目隠しさせられて屋上で日光浴をさせられる、4階、5階もあった。100人単位の囚人がいるんではないか。そこに食事を運ぶ、かなりの組織だったのではないか」
「年齢は10代もいた、40代以上だろうなという年配もいた。リーダーの容姿だが、松平健のような顔をしていた。私は勝手にケンと呼んでいた。彼は2003年に、米軍侵攻の前にシリアに義勇兵で入ったと」
「彼ら自身はずっとヌスラであると明言はしなかった、むしろ初期は強く否定していた。シリアの政治体制をどうしたいと聞いたら、シャリーアに基づく国づくり。カリフが必要かと聞くと、全てのイスラム教が望むカリフ制度がシリアに生まれてくるとは思わないと言っていた」




ーー戦場の報道の必要性について、使命と思っているか
「使命は誰かから与えれるもの。そういうおこがましい事は考えたことはない。私自身が知りたい事、それをみなさんに知っていただければいいなと思ってやっている」
「必要性については国家と国家が争う場合、国家は人を守るが戦争では人を殺す決定をする。ここで判断をする材料が民主主義の社会に絶対に必要。それは当事者の国家だけでなく、第三者から提供されるものがあるべきだと考えている」
「現地の情報を取りに行く人は絶対に必要だと思っている。当事国の人も必要、難民など巡り巡って日本にも影響する。直接に軍隊を送っているではなくても、地球上で紛争が起きているのであれば、それを見にいく、ジャーナリストの存在は絶対的に必要という考え」

ーーシリアの状況が伝えられていないという現状について
「私の行動がどうであったのか、日本政府に迷惑をかけたので検証されるのは当然だろうと思う。できればそこから進んで、そこで何が起きているのか、関心を持ち続けていただきたい」

ーー救出に向けて奥様が活動してきたが、安田さんの気持ちに変化は
「家族には何もしないようにと言っていたが、家族の気持ちとしてそれはやむをえない。身内で言うのもなんだが、立派な対応をしてもらった」
「私は自己責任だと思っている。家族は私自身ではないので。両親は年なので、もし捕まっている間に亡くなっていることもありえた。それは気にかけていた。いいかげん、親孝行しなければとも考えている」
「今後の取材の仕方、もうちょっと慎重に考えるということはあるかもしれない」

ーー今、現地で起きている民主化運動について何らかの動きは見えたか
「民主化運動について聞くのは難しい。囚人の中に子供がいた。尋問を聞いたら政府側のスパイだと。障害者も使ったりする。反対側の地域に入らせて何か見てくるという」
「戦争なのでお互いにスパイを使うのは当然だが子供だったり。そういうのに反発して反政府側に入ってくる人も増えたり。中にいるので話を聞いて回るわけにはいかない」

ーー3年4カ月前にシリアに入った時、当初の準備状況は
「日程は20日前後の予定だった。準備は相手と交渉しなければ進まないので、事前に全部決まって入るというのは難しい。2個所のイスラム法廷を取材したいと伝えていた。護衛のもとに取材相手の交渉をやってもらってやるのが良いと思っていた」
「受け入れらるという体制を作ってもらったら、ある程度任せるしかない。もっと良い取材の仕方があるならば、そういうことを考えられればいいなと思っている」

ーー2012年から拘束されているフォトジャーナリストの消息は
「聞いていませんでした」



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